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基肄城(きいじょう)

椽城・記夷城とも。佐賀県基山(きやま)町と福岡県筑紫野市にまたがる朝鮮式山城。白村江(はくそんこう)敗戦後の国際関係の緊迫化のなかで,665年(天智4)亡命百済人の憶礼福留(おくらいふくる)・四比福夫(しひふくぶ)らの指揮のもとに大野城と同時に築造された。標高400m前後の基山と坊主山の2峰にまたがって築かれた。土塁・石垣の総延長は約4.3km,三つの門が知られ,北帝門付近で土塁は二重になっていた。約76ヘクタールの城内には7カ所,計40棟以上の建物跡が確認された。基肄城内の倉庫に蓄えられていた稲穀を筑前・筑後・肥前・肥後4国に班給することを命じる木簡が大宰府跡から出土した。城の南東約2kmに関連施設らしい関屋土塁・塔れぎ土塁がある。城跡は国特別史跡。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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