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慈円(じえん)

生没 1155.4.15~1225.9.25 平安末~鎌倉前期の天台宗の僧。諡は慈鎮(じちん)。父は藤原忠通(ただみち),母は藤原仲光の女。基実(もとざね)・基房・兼実を兄にもち,とくに兼実の庇護をうけた。幼時に延暦寺青蓮院に入り,1167年(仁安2)天台座主明雲(みょううん)について受戒。以後順調に寺内で昇進し,92年(建久3)には38歳で天台座主に任じられた。慈円の天台座主就任は計4度に及び,勧学講などの法会や伽藍の整備に大きく貢献した。兼実の死後はその家流(九条家)の発展に尽力。兼実の孫道家の後見人をつとめ,その子頼経の鎌倉下向にあつい期待をよせた。政治的には公武の協調を理想とし,後鳥羽上皇の討幕の企てを批判するため著したとされる「愚管抄」は,中世の歴史思想を考える場合に不可欠の書。歌人としても有名で,家集「拾玉集」を残すほか,「新古今集」には西行についで多くの歌が選ばれた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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