隋(ずい)

中国の統一王朝の一つ(581~618)。北周の武人で外戚でもあった楊堅(ようけん)(文帝)が静帝の禅譲をうけ,大興(だいこう)城(長安)に王朝を開いた。589年南朝の陳(ちん)を滅ぼして中国を統一。開皇律令を定め,均田法や選挙法を実施して中央集権体制を確立した。子の煬帝(ようだい)が完成させた,江南と華北を結ぶ大運河は,交通と経済の基幹となる。煬帝は盛んに外征を行い入貢を促したが,612年からの高句麗遠征に失敗し,国内に農民の反乱がおこった。煬帝殺害後,その孫恭帝が李淵(りえん)(唐の高祖)に禅譲して王朝は滅んだ。倭王は600年と607年に文帝と煬帝のもとに遣隋使を派遣したが,その発言や国書は帝から「義理なし」などと叱責された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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