1. 用語
  2. 世界史 -ま-
  3. マケドニア

マケドニア

Makedonija[マケドニア],Makedonia[ギリシア],Macedonia[英] ・〔古代〕ヘラスの北,トラキアの西に広がる一地域。ヘラスに侵入したドーリア人の一派が,前1100年頃ここに入って,マケドニア人の中核となり,アルガイダイまたはテメニダイと呼ばれる王家が支配した。ペルシア戦争時代からギリシア史に登場し,フィリポス2世の時代,前338年にヘラスを屈服させた。その子アレクサンドロス大王はアケメネス朝ペルシアを征服したが,彼の死後その遺領は分裂し,マケドニアにはアンティゴノス1世の開いたアンティゴノス朝が前276年に確立した。しかしこの王朝は前168年ピュドナの戦いの敗北により7代で滅亡し,前148年マケドニアはローマの属州となった。・〔近現代〕1991年に旧ユーゴスラヴィアから独立した共和国。首都はスコピエ。アレクサンドロス大王の古代マケドニア王国の広大な領域の中心部分のみが,近代ではマケドニアととらえられる。6世紀後半に南スラヴ族がこの地域に定住。ビザンツ帝国,ブルガリア帝国,中世セルビア王国の支配を受け,15世紀にはオスマン帝国の統治下に置かれた。19世紀に入り,近隣のバルカン諸国がオスマン帝国から独立や自治を獲得するなかで,マケドニア地域は依然としてオスマン支配を受けた。しかもコソヴォ,ビトラ,テッサロニキの3ヴィラーエト(州)に行政区分されており,民族構成の多様なマケドニア住民の帰属意識は不分明であった。そのため,近隣のギリシア,ブルガリア,セルビアとヨーロッパ列強の利害が絡み,マケドニア問題が先鋭化した。1913年の第2次バルカン戦争で,マケドニアは戦勝国のギリシア,セルビアと敗戦国のブルガリアの3国で分割された。第一次世界大戦後,セルビア領マケドニアはユーゴスラヴィア王国の領域に組み込まれ,第二次世界大戦後の社会主義ユーゴスラヴィア連邦のもとで一共和国となり,マケドニア語とマケドニア文化の確立が図られた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

関連記事

この記事が気に入ったらいいね!しよう