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足利義昭(あしかがよしあき)

生没 1537.11.3~97.8.28 室町幕府の15代将軍(1568.10.18~73.7.18)。12代義晴の次男。母は近衛尚通(ひさみち)の女。初名義秋。法名霊陽院昌山道休。従三位権大納言・准三宮。はじめ興福寺一乗院に入室,覚慶(かくけい)と称して門跡(もんぜき)となる。1565年(永禄8)兄の将軍義輝が殺害されると,細川藤孝らにたすけられて近江に逃れた。翌年還俗,越前の朝倉義景を頼る。68年7月,織田信長に迎えられて岐阜に移り,9月入京,10月将軍となる。独自の政治活動のため信長と不和を生じ,72年(元亀3)本願寺顕如(けんにょ),浅井長政,朝倉義景,武田信玄ら反信長勢力を集めて包囲網を形成。翌年山城国槙島で挙兵するが,敗れて将軍位を追われ,室町幕府は滅亡。その後紀伊国由良に退き,ついで備後国鞆(とも)に移る。毛利氏に依頼して幕府再興をはかるがはたせなかった。88年(天正16)に帰京して出家,秀吉から1万石を与えられた。文禄の役(1592)では肥前国名護屋(なごや)に従軍。大坂で没した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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