1. 朝倉義景(あさくらよしかげ)

朝倉義景(あさくらよしかげ)

生没 1533.9.24~73.8.20 越前国一乗谷(いちじょうだに)(現,福井市)を本拠とした戦国大名。孝景の子,母は若狭国武田氏の女。初名延景。孫次郎。左衛門督。法名松雲院大球宗光。1552年(天文21)将軍足利義輝の1字をうけて義景と改名。65年(永禄8)義輝が殺害されると,その弟一乗院覚慶(のち義昭)は義景を頼って越前に下った。68年元服した義昭は,上洛を願うが義景が応じなかったため,織田信長を頼って上洛をはたす。信長は70年(元亀元)4月,越前国敦賀に侵攻。義景は浅井長政と結んで信長をいったんは撤退させたものの,6月に信長と徳川家康の連合軍に近江国姉川で敗れた。73年(天正元)義景は信長を討つため出兵したが大敗。追撃され,一乗谷に火を放ったのち越前国大野郡(現,大野市)の賢松寺で自害。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

この記事が気に入ったらいいね!しよう