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長宗我部氏(ちょうそかべし)

長曾我部とも。中世土佐国の豪族・戦国大名。秦河勝(はたのかわかつ)の子孫とも,蘇我氏の部民の出ともいう。鎌倉初期,能俊(よしとし)が長岡郡宗部(そがべ)郷(現,高知県南国市)に住み,子孫が地名から長宗我部氏を称したという。南北朝期には北朝方として活躍。のち土佐国守護細川氏の麾下に入り,吸江庵(ぎゅうこうあん)(現,高知市)の寺奉行となって勢力を伸ばした。永正年間(1504~21)本山氏・大平氏らに攻められ,一時断絶。その後,幡多郡中村(現,四万十市)の一条氏に養育された国親が勢力を回復,ついでその子元親が土佐国を統一した。1585年(天正13)四国を制覇したが,同年豊臣秀吉に敗れて土佐一国の領有を承認されたものの,その子盛親が関ケ原の戦で西軍について敗れ,所領を没収された。さらに大坂の陣で豊臣方に従って敗れ滅亡。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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