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栄西(えいさい)

生没 1141.4.20~1215.6/7.5 「ようさい」とも。鎌倉前期の臨済宗黄竜派の僧。道号は明庵(みょうあん),法諱は栄西。千光法師・葉上房ともいう。備中国賀陽(かや)氏の出身。11歳で仏門に入り,14歳のとき比叡山で受戒。以後,天台教学を修学する。1168年(仁安3)入宋,途中,俊乗房重源(ちょうげん)にあい,ともに天台山万年寺で羅漢に茶を供養。禅を学んで帰国後,天台復興のため禅の必要を感じ,87年(文治3)再び入宋。天台山万年寺の虚庵懐敞(えしょう)から臨済禅を学び,その法脈を得て91年(建久2)に帰国。禅の布教を始めたが,能忍(のうにん)の無嗣承の禅と混同され布教を停止された。比叡山衆徒による弾圧に対し「興禅護国論」を著す。99年(正治元)鎌倉で北条政子の帰依をうけ,寿福寺を建立。1202年(建仁2)将軍源頼家の庇護をうけて京都に台(天台)・密(真言)・禅の三宗一致の建仁寺を建立。06年(建永元)重源の跡をついで東大寺大勧進職となり復興に尽くした。14年(建保2)将軍源実朝の病気平癒のため祈祷を行い,「喫茶養生記」を献じた。ほかに「出家大綱」など。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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