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フランク

Franks ゲルマン民族中,中世初期に北部ガリアを中心にフランク王国を形成した一部族名。彼らは,3世紀以来ローマ人に,長いブロンドまたは赤色の髪を持つ長身の勇猛な戦士として知られていた。起源は不明であるが,3世紀には多くの支族に分かれ,ライン川右岸の中・下流域に定住した。4世紀に入りライン川を越えた頃から,リブアリ,サリの2支族が台頭し,西ローマ帝国の滅亡前後,前者はケルン地域に,後者はフランデレン地方に進出した。メロヴィング家のクローヴィスがサリ支族の王位につくに及んで,486年ソワソンのシアグリウスを破り,以後アラマン人,ブルグント,西ゴートのゲルマン諸部族国家を撃破し,同時に全フランク族の支配に成功した(メロヴィング朝)。クローヴィスのランス司教聖レミによるカトリック受洗(496年頃)は,フランク王位に対するカトリック教会の支持を勝ちとった。彼の死後,王国はゲルマン法の相続原理により4人の息子に分割されたが,数度にわたり偶然に一人の王に相続が集中した場合を除き,以後王国の不断の分割と一族間の闘争や各地の貴族の台頭が王権を衰微させた。この間にアウストラシアの宮宰(きゅうさい)が勢力を伸長し,751年ピピン(小)は聖ボニファティウスと教皇ザカリアスの支持を得て,実力をもって王位についた(カロリング朝)。その子カール大帝は西ローマ帝位をも得て,西ヨーロッパの全域にフランク帝国を拡張した。ヴェルダン条約,メルセン条約による分割は,それぞれのちのドイツ,フランス,イタリアとなる東フランク王国,西フランク王国,ロタリンギア(ロートリンゲン)をつくりだした。フランク王(帝)位は10世紀以後,それぞれ神聖ローマ皇帝とカペー朝とによって引き継がれる。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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