漢(かん)

Han ・前漢(ぜんかん)・後漢(ごかん)前漢前202~後8,後漢25~220中国の王朝。劉邦(りゅうほう)(高祖)が前202年長安で即位してから後8年に中絶するまでを前漢,25年劉秀(りゅうしゅう)(光武帝)が洛陽で即位し,220年滅亡するまでを後漢という。高祖は郡県制と封建制を併用した郡国制をしいたが,呉楚(ごそ)七国の乱をへて武帝のときには事実上郡県制となった。武帝は充実した国力を対外経略に注ぎ,匈奴(きょうど)を討ち,西域と交通し,絹の道(シルクロード)を開いた。また南越(なんえつ)を征服し,ベトナム北部を併せ,朝鮮四郡を置いた。こうして漢の全盛期がつくられ,学芸も栄えたが,外征の連続で財政が窮乏し,塩鉄の専売や均輸法,平準法が行われた。武帝の死後国力は衰え,宦官(かんがん),外戚がはびこり,王莽(おうもう)に国を奪われた。後漢は2世紀初めまでは国力が充実し,匈奴や西域諸国も服属していた。その後幼弱の皇帝が続いて宦官,外戚が再び政治を乱し,官僚群と衝突し(党錮(とうこ)の禁),2世紀末の黄巾(こうきん)の乱を機に漢朝の権威は失墜し,やがて魏(三国)の曹丕(そうひ)に国を奪われた。このように王朝権力が盛衰した一方,豪族の大土地占有は漸次発展して,豪族は後漢の有力官僚となって権力を握った。武帝が儒教を正統の学と定め,光武帝が奨励して経学が発達し,儒教的官僚王朝が形成された。また陰陽五行,讖緯(しんい)思想,神仙思想も流れており,1世紀には仏教も伝わり,2世紀には道教の萌芽がみられる。古代の医薬,暦法,科学技術などがこの時代に総合的に発展した。鉄器も普及し,華北では牛耕が発達し,商業も盛行した。漢族固有の文物は漢代に総合化,定形化された。・南漢(なんかん)・北漢(ほくかん)南漢917~971,北漢951~979五代十国の王朝。南漢は広東,広西を中心とする地域に拠った一政権。南海貿易で栄えたが,971年に宋に降伏。北漢は五代後漢(こうかん)滅亡のとき,突厥沙陀(とっけつさだ)部出身で後漢を建てた劉知遠(りゅうちえん)の弟劉崇(りゅうすう)が山西に建国。契丹(きったん)の後援で後周,宋と戦ったが,宋に滅ぼされ五代十国の分裂が終わる。・後漢(こうかん)947~950五代第4代の短命の中原王朝。後唐,後晋の臣,劉知遠(高祖)が建国。杜重威(とじゅうい)の反乱や契丹の侵入を受け,わずか4年で部将の郭威(かくい)に滅ぼされた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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