夏(か)

Xia ・殷(いん)よりもさかのぼる中国史上最も早い王朝。司馬遷(しばせん)の『史記』の本紀には,五帝本紀と殷本紀の間に,夏本紀がはさまっており,夏王朝の存在を認めている。そこには始祖の禹(う)に始まり,啓(けい),太康(たいこう)以下,桀(けつ)に至る17人の君主の系譜と簡単な事跡が記されている。また『竹書紀年』によれば,夏王朝は14代,471年続いたという。しかし『史記』の禹王の記事は『尚書』禹貢をそのまま載せており,夏王朝の存在は後世の仮託として疑われてきた。しかし1950年代後半から,考古学者は『史記』などの文献にみえる禹都の「陽城」「夏墟(かきょ)」「平陽」「安邑(あんゆう)」の遺跡を探し求めようとした。河南省洛陽東部と山西省南部が候補地となった。実際に河南省の二つの遺跡,一つは伊河(いが)・洛河(らくが)流域の偃師(えんし)県二里頭(にりとう)遺跡,もう一つは登封県嵩山(すうざん)南麓の王城崗(おうじょうこう)遺跡で発掘が進められた。前者では大型の建築遺構や青銅器,後者では前2000年前後の城壁が発見された。しかし殷墟(いんきょ)のように文字は未発見であり,最終的な決着はついていない。・〔五胡十六国〕407~431 五胡十六国の一国。匈奴(きょうど)の赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)が寧夏(ねいか),陝西(せんせい)北部に建てた国。都は統万城。418年勃勃が長安を攻略して帝位につく。子の赫連昌(しょう),赫連定(てい)のとき,北魏の太武帝(たいぶてい)に滅ぼされた。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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