金(きん)

Jin 1115~1234 トゥングース系の女真(じょしん)人が,1115年東北アジアに統一政権を立て,やがて南下して中国華北を支配した征服王朝。太祖阿骨打(アグダ)は反遼の民族意識を巧みに用いて統一し,対内的には女真的な勃極烈(ボギレ)制(最高機関),猛安(もうあん)・謀克(ぼうこく)制(軍事・行政制)を定め,対外的には遼を滅ぼした。その後,金は華北に侵入して北宋を滅ぼし,秦嶺(しんれい)‐淮水(わいすい)の線で南宋と対峙したが,華北の領有によって二重支配の必要に迫られた。海陵王時代に急進的な中国化が行われ,燕京(えんけい)に遷都し,尚書省のもとに六部(りくぶ)を置いて支配する中央集権制を樹立した。また地方統治には,19の路のもとに州県を置く州県制を採用した。これにより,華北では猛安・謀克制に組織された女真人と,州県制により統治される漢人が雑居するようになった。やがて中国化に伴う女真人の弱体化,戦争による財政危機は衰亡をもたらし,モンゴル帝国,南宋の攻撃で1234年滅亡した。金は国粋化を図って女真文字をつくったが,むしろ中国文化の影響を強く受け,漢文学が流行した。また『大蔵経』(だいぞうきょう)『道蔵』(どうぞう)が刊行され,新道教教団の全真教が興起した。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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