1. 匈奴(きょうど)

匈奴(きょうど)

Xiongnu ユーラシア草原東部で最も早く形成された遊牧国家とその民の名。言語はトルコ語かモンゴル語に近い。前209年に冒頓(ぼくとつ)が単于(ぜんう)になると東方の東胡(とうこ)や西方の月氏(げつし)などを打倒し,モンゴル高原を統一した。前200年には中国に侵入して漢の高祖(劉邦(りゅうほう))が率いる軍を破り,毎年多額の絹,酒,米などを貢納させる和平条約を結んだ。冒頓の末年か次の老上(ろうじょう)単于のときに,天山北方に移動していた月氏の主力(大月氏)をアム川流域に駆逐し,天山の南北を支配下におさめ,日逐(にっちく)王を置いてオアシス諸国から貢納を得た。単于は天地日月の神によって権威づけられ,特に天神が重視された。単于と配下の諸王は特定の家系の出身者によって占められていたが,服属した他部族も独自の王を戴いたまま単于のもとにあった。匈奴国家には,中国から略奪されてきたり,またはみずから逃亡してきた漢人が多くいて農耕や手工業に従事し,経済に寄与していた。漢の武帝が即位してからは攻守ところを変え,前60年に日逐王が漢に服属するに至って,オアシス諸国は完全に漢の支配下に入り,服属していた丁零(ていれい)や烏丸(うがん),鮮卑(せんぴ)も離反した。さらに単于位をめぐって内紛が起き,呼韓邪(こかんや)単于の率いる東匈奴は前51年に漢に臣属した。一方その兄_支(しつし)単于の率いる西匈奴は天山北麓に移動したが,前36年に漢軍に敗れ,西匈奴は瓦解した。王莽(おうもう)の新代に東匈奴は一時勢力を回復したが,光武帝の中国統一直後(後48年),再び分裂した。日逐王の比(ひ)は祖父と同じく呼韓邪単于と号して南匈奴を率い,後漢に臣属した。南匈奴はその後,五胡十六国時代に大きな役割を果たす。一方,モンゴル高原に残った北匈奴は周囲の諸族から攻められて西走し,2世紀中頃に天山北方にいたことを示す記事を最後に中国の史書から消える。これがさらに西走してフンになったとする説もある。 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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