呉(ご)

Wu ・〔春秋〕?~前473 周の太王の子の太伯(たいはく)・仲雍(ちゅうよう)の兄弟が弟の季歴(きれき)(文王の父)に王位を譲り,文身(刺青(いれずみ))断髪して荊蛮(けいばん)の地に建てた国。都は無錫(むしゃく)に置かれ,のちに蘇州に移った。『史記』呉太伯世家や『呉越春秋』に詳しい。虞仲(ぐちゅう)のときに諸侯となり,寿夢(じゅむ)が初めて王となった。その子の季礼(きれい)は王位を受けずに賢者として知られた。闔閭(こうりょ)と夫差(ふさ)の2代は越(えつ)と戦い,前473年越王勾践(こうせん)に滅ぼされた。・〔三国〕222~280 中国の三国時代の王朝。後漢末に江南の土豪孫堅(そんけん)が台頭し,その戦死後子の孫策が江南を平定したが,暗殺されたので弟の孫権(大帝)が継ぎ,赤壁の戦いで曹操(そうそう)を破って地位を確保した。のち蜀(しょく)と争って魏と結び,曹丕(そうひ)が帝位につくと呉王に封じられたが(220年),222年独立し,229年帝位につき建業(南京)を都とした。孫権の死後権力は江南の豪族に移って混乱が起こり,280年晋に討たれ4代で滅んだ。呉は江南の開発を進め,領土をベトナム北部まで広げ,林邑(りんゆう),扶南(ふなん)などを朝貢させた。・〔五代十国〕902~937 (山川 世界史小辞典(改訂新版), 2011年, 山川出版社)

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