1939年(昭和14)夏に有田八郎外相とクレーギー駐日大使との間で行われた日英東京会談。39年4月に天津の英仏租界において海関監督程錫庚が暗殺され,日本は容疑者の引渡しを要求,英仏租界の封鎖を断行した。イギリスは正式交渉を申し入れ,7月15日から会談を開始。イギリスは中国における日本軍の要求を妨害しない旨の原則的了解が成立するが,法幣流通問題が難航し,8月下旬に決裂した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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