新井白石(あらいはくせき)
生没 1657.2.10~1725.5.19 江戸中期の儒学者・政治家。上総国久留里(くるり)藩士正済(まさなり)の子。名は君美(きんみ),字は在中・済美(せいび),通称与五郎・伝蔵・勘解由。白石は号。久留里藩などに仕えたのち牢人。1693年(元禄6)朱子学者木下順庵の推挙で甲府藩主徳川綱豊(家宣)の侍講となる。家宣の6代将軍就任とともに幕政に参画,7代将軍家継を補佐し正徳の治を断行。武家諸法度改訂・貨幣改鋳・正徳長崎新例施行・朝鮮使節応接簡素化などを行うが,家継没後失脚。のち著述に専念。朱子学を基本とし言語学・歴史学にも長じ,「東雅」「古史通」「読史余論」は代表的著作。世界史的視野の広さを示す「西洋紀聞」「采覧異言(さいらんいげん)」や「折たく柴の記」「藩翰譜」など,今日の幕政史研究の必須書も著す。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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