安倍宗任(あべのむねとう)
生没年不詳。平安中期の陸奥国の豪族。頼時の子。鳥海(とりのみ)三郎と称する。前九年の役では1057年(天喜5)父の戦死後,兄貞任とともに源頼義と戦い,これを破った。62年(康平5)頼義が出羽国の豪族清原武則・光頼兄弟の援助をうけると形勢は逆転,厨川(くりやがわ)柵(現,盛岡市)の戦で敗れ投降した。64年伊予国に配流され,67年(治暦3)大宰府に移されたという。その後は不明。女は奥州藤原氏の基衡(もとひら)の妻。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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