安達泰盛(あだちやすもり)
生没 1231~85.11.17 鎌倉中・後期の武士。父は義景,母は伴野時長の女。通称城九郎。得宗(とくそう)の外戚の家に生まれ,幕政の中心にあった。1256年(康元元)評定衆となり,さらに越訴奉行・肥後国守護・秋田城介(じょうのすけ)などにつく。元寇の際には御恩奉行として御家人の恩賞の審査にあたった。84年(弘安7)得宗北条時宗の死後は,内管領(ないかんれい)の平頼綱とともに新得宗の北条貞時を補佐し,弘安徳政とよばれる政治改革を推進。やがて頼綱と対立,85年頼綱の訴えをいれた貞時の命により,謀反の疑いありとして攻め滅ぼされた(霜月(しもつき)騒動)。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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