足利義満(あしかがよしみつ)
生没 1358.8.22~1408.5.6 室町幕府の3代将軍(1368.12.30~94.12.17)。2代義詮(よしあきら)の子,母は紀良子。法名鹿苑院天山道義・道有。1367年(貞治6・正平22)父の死で家督を譲られ,翌年11歳で将軍,管領細川頼之に補佐された。78年(永和4・天授4)北小路室町の新第(花御所)に移る。翌年頼之を解任して斯波義将(しばよしゆき)にかえた。父祖の例をこえて内大臣に進むと,諸儀を摂関家にならい,武家としてはじめて准三宮ともされた。91年(明徳2・元中8)山名氏清を滅ぼし,翌年南北朝合一を達成。94年(応永元)将軍職を辞したのち太政大臣に任じられたが,翌年出家。99年,仙洞(せんとう)を模した北山第へ移り,みずからを法皇に擬す。同年大内義弘らを討って西国支配を強化,1401年には明に国書を送って国交を開き,冊封をうけて日本国王と認められた。06年,妻日野康子が天皇の准母として北山院の院号宣下(せんげ)をうけ,08年4月に愛児義嗣が内裏で親王に准じて元服の儀を行うなど,天皇家との一体化を推進。没後,朝廷は太上法皇号を贈ろうとしたが,子の義持は固辞した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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