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足利義視(あしかがよしみ)

生没 1439.閏1.18~91.1.7 室町中期の武将。6代将軍義教の子。正二位権大納言・贈従一位太政大臣。はじめ浄土寺に入室して義尋(ぎじん)。1464年(寛正5)兄将軍義政の継嗣として還俗,義視と改名。翌年,義政に実子義尚が誕生,両者の継嗣争いが応仁・文明の乱の一因になる。乱の勃発直後伊勢へ下る。68年(応仁2)義政の要請で上洛して東軍の陣へ入るが,義政との不和は解消せず,比叡山をへて西軍の陣に迎えられた。77年(文明9)京都での戦闘が終息すると美濃へ下向,義政と和睦後も同地に留まった。89年(長享3)義尚の死後子義材(よしき)と上洛,通玄寺で剃髪。翌年義材(義稙(よしたね))が将軍になると准三宮とされたが,まもなく病没。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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