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足利義澄(あしかがよしずみ)

生没 1480.12.15~1511.8.14 室町幕府の11代将軍(1494.12.27~1508.4.16)。堀越公方(ほりごえくぼう)政知の次子。母は武者小路隆光の女。法名法住院旭山清晃。従三位参議・贈従一位太政大臣。1487年(長享元)上洛し,天竜寺香厳院の喝食(かっしき)となり清晃(せいこう)と称する。上洛前後から細川政元との連携がうわさされ,93年(明応2)将軍足利義稙(よしたね)の河内出陣中,政元は京都で清晃を擁立して義稙を廃した。清晃は還俗して義遐(よしとお),ついで義高と改名。翌年征夷大将軍に任じられる。1502年(文亀2)義澄と改名。08年(永正5)前将軍義稙が大内義興に奉じられて京都に迫ると,九里(くのり)氏を頼って近江国岡山城にのがれた。子義晴・義維(よしつな)を赤松義村に託し,同城で没した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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