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足利義詮(あしかがよしあきら)

生没 1330.6.18~67.12.7 室町幕府の2代将軍(1358.12.8~67.12.7)。初代尊氏の三男。母は赤橋登子。幼名千寿王。法名宝篋(ほうきょう)院瑞山道権。正二位権大納言・贈従一位左大臣。1333年(元弘3)父の名代として新田義貞とともに鎌倉攻めに参加。以後も鎌倉に留まって関東を掌握した。49年(貞和5・正平4)叔父直義(ただよし)にかわって政務をとるため上洛。51年(観応2・正平6)父とともにいったん南朝に降るが,翌年南朝軍を男山合戦で破り,後光厳(ごこうごん)天皇を践祚(せんそ)させた。その後3度にわたって南朝の京都占拠を撃退。尊氏の死後将軍となり,斯波義将(しばよしゆき)を執事として幕政の安定をはかり,63年(貞治2・正平18)大内・山名両氏を帰服させた。67年,死に臨んで幼少の嫡子義満に家督を譲り,細川頼之を管領に任じ後事を託した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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