浅野氏(あさのし)
近世の大名家。清和源氏頼光流の美濃土岐氏の一族といわれるが,藤原姓も称した。長勝のとき織田信長に仕え,養女がのちの豊臣秀吉と結婚。その縁で養子長政は秀吉に重用され,政権の中枢を占めた。関ケ原の戦後,長政は常陸国真壁5万石を,子の幸長(よしなが)は紀伊国和歌山37万6000石余を与えられた。幸長没後に弟長晟(ながあきら)が襲封し,1619年(元和5)安芸・備後42万6000石余を与えられ広島に移る。以後明治期に至り侯爵。一方,32年(寛永9)長晟の庶子長治は備後国三次(みよし)5万石を分知され,1720年(享保5)まで続いた。また長政の三男長重は真壁を襲封し,1645年(正保2)長直のとき播磨国赤穂に転封されたが,1701年(元禄14)長矩(ながのり)の代で断絶した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
この記事が気に入ったらいいね!しよう