藤原泰衡(ふじわらのやすひら)
生没 1155~89.9.3 奥州藤原氏4代当主。秀衡の次男,母は藤原基成の女。1187年(文治3)父の跡を継ぎ,陸奥・出羽両国の押領使(おうりょうし)となる。兄国衡・源義経とともに「三人一味」せよという父の遺言に反し,源頼朝の命に従い義経を討つ。その後,頼朝の大軍に攻められ,平泉を捨てて敗走。途中,肥内(ひない)郡贄柵(にえのさく)で家臣の河田次郎に殺された。首は源家の故実により眉間に八寸釘を打って柱にかけられ,のち中尊寺金色堂に納められた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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