藤原師光(ふじわらのもろみつ)
生没 ?~1177 平安末期の官人。鳥羽上皇・後白河上皇の近臣。家成の養子。藤原通憲(みちのり)(信西)の乳母子といわれる。法名は西光(さいこう)。1159年(平治元)平治の乱で通憲が殺害されたため出家したが,政界にとどまり,後白河上皇の第一の近臣と称された。子の師高が日吉社の末社と争って配流となったとき,上皇に奏して天台座主(ざす)の明雲を伊豆国へ配流。77年(治承元)鹿ケ谷(ししがたに)で藤原成親(なりちか)・俊寛(しゅんかん)らと平氏打倒を謀議したことが発覚,朱雀大路で斬首された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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