生没 1042.2.-~1101.2.13 京極殿・後宇治殿とも。平安後期の公卿。関白頼通の三男。母は藤原祇子。1056年(天喜4)非参議から権中納言となり,内大臣・右大臣・左大臣を歴任。1075年(承保2)白河天皇の関白,86年(応徳3)堀河天皇の摂政となる。88年(寛治2)太政大臣,翌年辞任。90年関白。養女賢子(源顕房の女)は白河天皇中宮として堀河天皇を生んだ。日記「京極関白記」は逸文のみ。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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