藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)
生没 775~826.7.24 平安初期の公卿。父は内麻呂。母は女嬬(にょじゅ)百済永継。同母兄に真夏(まなつ)がおり,桓武天皇の皇子良岑(よしみね)安世は同母弟。号は閑院大臣。大判事・春宮亮・蔵人頭をへて811年(弘仁2)参議となる。嵯峨天皇に信任され,権中納言・中納言・大納言・右大臣と昇進,左近衛大将を兼任し,政界の中心として現実的地方政策の推進にあたった。825年(天長2)には左大臣となったが,翌年没した。正二位。のち贈正一位太政大臣。穏和な性格で文武を兼ね備え,よく人に慕われたという。「弘仁格式(きゃくしき)」「内裏式(だいりしき)」の編纂に従事した。藤原氏および北家興隆の基礎を築き,一族のために勧学院をたてたり施薬院を復興したりもした。文徳天皇の外祖父。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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