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藤原俊成(ふじわらのとしなり)

生没 1114~1204.11.30 「しゅんぜい」とも。平安末~鎌倉前期の歌人。御子左(みこひだり)家藤原俊忠の子。母は藤原敦家(あついえ)の女。子に定家(さだいえ)ら。父の死後,葉室顕頼の養子となり,53歳まで顕広(あきひろ)を名のる。正三位に昇り,皇太后宮大夫となる。63歳で出家,法名釈阿(しゃくあ)。源俊頼や藤原基俊に学び,やがて歌壇の指導者の地位についた。業績は「千載集」の撰集,歌学書「古来風体抄(こらいふうていしょう)」「俊成卿和字奏状」「万葉集時代考」「古今問答」,さらに「六百番歌合(うたあわせ)」ほか40ほどの歌合の判詞の執筆など多彩。和歌の道で対抗する六条(藤)家を圧倒,定家ら新古今時代の歌人たちを育てた。1203年(建仁3)には後鳥羽上皇から九十の賀を賜る。「詞花集」以下の勅撰集に約420首入集。家集「長秋詠藻(ちょうしゅうえいそう)」「俊成家集」。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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