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藤原忠通(ふじわらのただみち)

生没 1097.閏1.29~1164.2.19 法性寺殿(ほっしょうじどの)とも。12世紀の公卿。忠実(ただざね)の長男。母は源顕房の女師子。頼長は異母弟(のち猶子)。1107年(嘉承2)元服,権中納言・権大納言・内大臣をへて,21年(保安2)白河上皇の不興を買った父にかわり関白となる。翌年左大臣従一位。のち崇徳(すとく)・近衛両天皇の摂政・関白・太政大臣。白河上皇没後政界に復帰した忠実と対立を深め,50年(久安6)義絶され,氏長者(うじのちょうじゃ)職を頼長に奪われる。これに対し忠通は美福門院に接近して対抗。後白河天皇即位にともなう忠実・頼長の失脚で再び氏長者となり,58年(保元3)関白を嫡子基実に譲る。62年(応保2)出家,法名円観。忠通の時代,摂関家は父弟との争いにより院権力の介入を許し,弱体化していった。書の名手で法性寺流の祖。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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