藤原忠実(ふじわらのただざね)
生没 1078.12.-~1162.6.18 知足院・富家(ふけ)殿とも。平安後期の公卿。父は師通。1091年(寛治5)従三位。鳥羽天皇の摂政・関白となったが,1120年(保安元)女の泰子の入内をめぐり白河法皇の怒りにふれ,翌年長男忠通に関白・氏長者を譲り宇治に蟄居。29年(大治4)法皇が没すると鳥羽院政下で復帰したが,今度は忠通と対立。次男頼長をたてたが,保元の乱後に知足院に閉居となる。日記「殿暦(でんりゃく)」や「富家語」が現存する。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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