藤原佐理(ふじわらのすけまさ)
生没 944~998.7.- 名は「さり」とも。平安中期の貴族。能書家で三蹟の1人。父敦敏は早世し,祖父実頼に後見された。961年(応和元)従五位下となり,右近衛権少将・蔵人・右中弁・参議などを歴任。984年(永観2)新内裏の額を書き従三位に昇った。円融・花山・一条各天皇の大嘗会(だいじょうえ)の屏風色紙形を書く。990年(正暦元)兵部卿となったが,翌年辞し大宰大弐(だいに)として赴任。992年正三位となるが,宇佐八幡宮の神人(じにん)との乱闘事件から995年(長徳元)解任され京に召還された。のち許され,兵部卿に再任したが,まもなく没した。書に名高く,「栄花物語」に「手書きのすけまさ」とみえる。「詩懐紙」(国宝)「離洛帖(りらくじょう)」(国宝)などの書がある。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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