藤原薬子(ふじわらのくすこ)
生没 ?~810.9.12 平安初期の高級女官。種継の女。式家。藤原縄主(ただぬし)に嫁して3男2女をもうける。長女が皇太子安殿(あて)親王(平城天皇)の妃となると,東宮宣旨(とうぐうのせんじ)に登用される。桓武天皇に退けられる時期もあったが,平城天皇の即位後,典侍(ないしのすけ)をへて尚侍(ないしのかみ)に,位階も809年(大同4)には正三位に至る。平城の譲位後も上皇の側近として兄仲成(なかなり)と権勢をふるったため嵯峨天皇方と対立。上皇の平城京遷都命令で全面対決となり,敗れて服毒自殺した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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