江戸初期におかれた伏見城の城代。関ケ原の戦後,徳川家康は上方では伏見城で政務をみていたが,1607年(慶長12)居を駿府に定めるに及び,異父弟の松平定勝に城代を命じ,大番の在番2組をおいた。これは伏見三年番といわれる。伏見城は大御所・将軍上洛時の居所とされたが,19年(元和5)破却されることになり,城代・在番士ともに大坂城に移動した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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