原敬(はらたかし)
生没 1856.2.9~1921.11.4 明治・大正期の政党政治家。盛岡藩士(家老職)の次男として盛岡に生まれたが,のち分家して平民となる。司法省法学校退学後,郵便報知新聞社をへて1882年(明治15)外務省に入省。陸奥宗光の知遇を得て農商務省・外務省の要職を歴任し,外務次官をへて駐朝鮮日本公使。98年官界を辞して大阪毎日新聞社社長となる。1900年立憲政友会結成に参加,同年幹事長,第4次伊藤内閣の逓信相になる。02年衆議院議員に当選し,以後連続8回当選。総裁西園寺公望(きんもち)を補佐し桂太郎との提携を推進,積極政策を掲げて政友会の勢力拡大を実現した。14年(大正3)政友会総裁に就任。18年内閣を組織し平民宰相とよばれたが,多数による力の政治や利益誘導政治に対する批判も強く,東京駅で暗殺された。「原敬日記」全6巻が出版されている。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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