長谷川等伯(はせがわとうはく)
生没 1539~1610.2.24 桃山時代の画家。長谷川派の祖。名あるいは号に又四郎・帯刀・信春など。能登国七尾生れ。実父は七尾城主畠山家家臣奥村文之丞と伝えられ,染色業を営む長谷川宗清の養子。20代半ばから能登で仏画などを制作,1571年(元亀2)頃上洛。本法寺に「日尭上人(にちぎょうしょうにん)像」を描く。その後三玄院襖絵(円徳院・楽家蔵,重文)など大徳寺諸塔頭に作画し,91年(天正19)建立の祥雲寺障壁画(現,智積(ちしゃく)院蔵,国宝)では一門を率いて独自の金碧画様式を形成。一方,宋元画に学び「松林図屏風」(東京国立博物館蔵,国宝)で水墨画の和様化の極致を示した。晩年まで制作にはげみ,江戸で病没。「等伯画説」は画論として貴重。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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