萩の乱(はぎのらん)
1876年(明治9)10月に山口県萩でおきた士族反乱。兵部大輔前原一誠(いっせい)は1870年長州(萩)藩の脱隊騒動の処分をめぐって木戸孝允(たかよし)と対立して辞職,帰藩後不平士族たちに仰がれる存在となった。74年には佐賀の乱に呼応しようとする動きを抑えたが,76年10月気脈を通じていた熊本の敬神党(神風連(じんぷうれん))と秋月士族の挙兵が伝わると,同月28日に前原も萩の明倫館で同志百数十人とともに挙兵,官金を奪い檄(げき)を飛ばして周辺士族に決起を促した。県庁を襲撃しようとしたが,鎮台兵出動の報をうけて山陽道から船で脱出をはかって失敗,萩に戻り広島鎮台司令長官三浦梧楼(ごろう)が率いる鎮台兵と戦ったが敗走した。11月5日島根県宇竜港で捕らえられ,のち前原ら幹部8人が斬刑となった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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