細川ガラシャ(ほそかわガラシャ)
生没 1563~1600.7.17 織豊期の女性キリシタン。明智光秀の女,細川忠興の室。名は玉子。1582年(天正10)本能寺の変後,丹後国味土野(みとの)に幽閉されるが,84年豊臣秀吉に許されて大坂の細川邸に移る。忠興が高山右近の友人だったことからキリシタンの教えに関心をもつ。87年忠興が九州出陣中に大坂の教会を訪問。侍女の清原枝賢(えだかた)の女に教理を学ばせ,侍女は受洗してマリアと称した。同年マリアから受洗,洗礼名ガラシャ。1600年(慶長5)関ケ原の戦に際し,石田三成(みつなり)に細川邸を囲まれ,家老にみずからを討たせた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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