1. 用語
  2. 日本史 -ほ-
  3. 細川勝元(ほそかわかつもと)

細川勝元(ほそかわかつもと)

生没 1430~73.5.11 室町中期の武将。持之(もちゆき)の嫡子。聡明丸・六郎。右京大夫。法名竜安寺宗宝仁栄。1442年(嘉吉2)父の死去で家督を継承,摂津・丹波・讃岐・土佐4カ国守護となる。若年のため叔父持賢の補佐をうけた。将軍足利義政のもとで管領を3度勤める。畠山持国と対抗するため,はじめ山名持豊(宗全)と結んでその女婿となるが,赤松氏の再興,斯波・畠山両氏の家督争い,さらには将軍家継嗣問題をめぐって対立を深めた。67年(応仁元)1月,持豊が勝元の支援する管領畠山政長の失脚をはかったため両者は兵を京都に集結,応仁・文明の乱が勃発した。将軍義政を擁し,東軍の総大将として持豊率いる西軍と争ったが,勝敗が決まらないまま持豊没後まもなく病没。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

この記事が気に入ったらいいね!しよう