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保科正之(ほしなまさゆき)

生没 1611.5.7~72.12.18 江戸前期の大名。陸奥国会津藩主。徳川秀忠の四男。1617年(元和3)秀忠の密命で保科正光の養子となった。31年(寛永8)正光の遺領信濃国高遠3万石を領し,36年出羽国山形藩主となり,43年会津23万石に転じた。53年(承応2)正四位下中将。兄の徳川家光死後,その遺言により家綱をたすけ,幕閣の重鎮として活躍。寛文の武家諸法度発布に際しては,正之の意見により殉死の禁が口達されている。ほとんど江戸住いだったが,藩政においても国元の家老以下を指導し,社倉の採用や蝋・漆の生産奨励と専売制の実施など会津藩政の基礎確立に尽くした。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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