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北条泰時(ほうじょうやすとき)

生没 1183~1242.6.15 鎌倉中期の幕府執権。父は義時,母は不詳。幼名は金剛。江馬太郎と称する。1218年(建保6)侍所別当に任じられる。21年(承久3)承久の乱がおこると,父義時の命により,叔父時房とともに幕府軍の大将として東海道を攻めのぼり,後鳥羽上皇方の軍を打ち破って京都に入った。そのまま京都にとどまり,初代の六波羅探題北方となる。24年(元仁元)義時の死により鎌倉へ帰り,執権の地位を継いだ。25年(嘉禄元)北条政子が死去すると,執権補佐として連署の地位を設け,政務決定機関である評定を設置した。これにより,幕府政治は執権が主導する体制が確立した。32年(貞永元)幕府の基本法である「御成敗式目」を制定。鎌倉市街の整備にも努めた。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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