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生田万(いくたよろず)

生没 1801~37.6.1 江戸後期の国学者。名は国秀(くにほ),字は救卿,万は通称。父信勝は上野国館林藩士。若くして江戸へ遊学,平田篤胤(あつたね)に国学を学ぶ。帰国後の1828年(文政11)藩政改革を求める意見書「岩にむす苔(こけ)」を藩主に上呈,追放される。流浪の後,31年(天保2)上野国太田に私塾厚載館を開き,著述に専念する。36年同門の樋口英哲に招かれ越後国柏崎(現,新潟県柏崎市)に移住,私塾桜園(おうえん)塾を開き国学を説いた。この年越後は大飢饉にみまわれ,代官・豪商の不正もあり農民は困窮していた。翌37年2月に大塩の乱がおこると,同志とはかり柏崎にあった桑名藩支領の陣屋を襲撃し敗死(生田万の乱)。著書「大中道人謾稿」「日文伝評論」「大学階梯(かいてい)外篇」「良薬苦口(くちににがし)」。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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