硯友社(けんゆうしゃ)
明治期の文学結社。1885年(明治18)大学予備門の尾崎紅葉・山田美妙・石橋思案,一橋高等商業の丸岡九華は回覧雑誌「我楽多(がらくた)文庫」発刊を決め,社名を硯友社とした。活版非売本・発売本,改名して「文庫」と変遷しながら89年の終刊までに43冊をだした。この間,川上眉山・広津柳浪・江見水蔭・大橋乙羽らが参加。美妙の脱退後「新著百種」の企画が成功し,90年代には文壇の中心勢力となる。紅葉門下に泉鏡花・小栗風葉・徳田秋声・柳川春葉らが結集。日清戦争後に深刻小説(悲惨小説)・観念小説をうんだが,1903年の紅葉の死を境に自然消滅した。趣味的文学観から出発し,西鶴模倣をへて写実主義へ発展した風俗小説といえるが,次代の文学を準備した功績は大きい。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
この記事が気に入ったらいいね!しよう