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遣隋使(けんずいし)

日本(倭(わ))が中国の隋に派遣した外交使節。「隋書」倭国伝と「日本書紀」によれば,総計4回派遣された。第1回の600年(推古8)の派遣は「隋書」にのみみえる。倭王武(ぶ)以来,1世紀に及ぶ中国との国交の途絶後に百済(くだら)の仲介を得て派遣された。倭王は姓を阿毎(あめ),字を多利思比孤(たりしひこ)といい,天を兄とし日を弟とすると伝えたため,文帝から教諭された。これをうけて冠位十二階の制定など,中国の礼制を導入する端緒が開かれた。第2回(607年)は小野妹子(いもこ)が大使となり,隋への国書で対等な関係における形式をとったため,煬帝(ようだい)は礼に反するとしたが,裴世清(はいせいせい)を派遣した。第3回(608年)は,同じく小野妹子が裴世清の送使として派遣され,同行した高向玄理(たかむこのげんり)・僧日文(旻(みん))・南淵請安(みなぶちのしょうあん)らは唐朝の成立後に帰国し,大化の改新の際に活躍した。第4回(614年)の犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)らののち,中国の先進文物の輸入と東アジアでの倭の地位の確立を目的としたこの事業は遣唐使にうけつがれる。なお「隋書」煬帝紀にみえる日本使の2例は,年次を誤ったものか。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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