生没 1804.8.31~85.2.22 明治初期に招聘されたアメリカの農政家。南北戦争に従軍,グラント大統領の下で農務長官在任中,開拓次官黒田清隆の懇請で開拓使顧問となり,1871年(明治4)トーマス・アンティセルら技術者と来日。年俸1万ドル。北海道を72~74年の間毎年踏査し,移民・開拓・産業復興の基本構想を具申した「ホラシ・ケプロン報文」がある。75年5月辞任し,離日帰国。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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