10世紀初めに遼を建てたモンゴル系民族。8世紀前半のオルホン碑文にはキタイKitai,8世紀中頃のウイグル碑文では複数形のキタンKitanの名でみえる。4世紀以来,東モンゴルのシラ・ムレン川の流域で遊牧し,突厥(とっけつ)・ウイグル・高句麗・中国に隷属していたが,10世紀初めに隣接諸部族を征服し,中国北辺を領有して大契丹国を建て,のち遼と改めて2世紀にわたって君臨した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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