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暦(こよみ)

暦には時を計り記録する技術,つまり暦法(れきほう)という意味と,一定の暦法にもとづいて作成された毎年の暦書,すなわち頒暦(はんれき)という意味がある。日本には古来,自然の四季の移り変りを基とした自然暦があり,それが農事暦の軸となっていた。「魏志倭人伝」の裴松之(はいしょうし)の注に「その俗正歳四時を知らず,但し春耕秋収を記して,年紀となす」とあるのが,その状態を示すものと思われる。のち中国で発達した太陰太陽暦の影響をうけるようになり,早く元嘉暦(げんかれき)を行用した百済を通じて,日本もこれを採用した。「日本書紀」欽明14年条に,百済に対し暦博士の派遣や暦本の送付を求めた記事がある。602年(推古10)百済の僧観勒(かんろく)が暦本などをもって来日し,陽胡史(やこのふひと)の祖玉陳(たまふる)に暦法を学ばせた。この頃から,朝廷による組織的な編暦と頒暦が行われるようになったと考えられる。こののち日本で行用された暦法は表のとおりである。令の規定によると,暦は毎年中務省陰陽(おんみょう)寮に属する暦博士によって作成され,11月1日の御暦奏(ごりゃくのそう)の儀をへて頒布された。これは具注暦(ぐちゅうれき)で貴族・官人の間に用いられ,行間やとくに間明きのものを作って,日記を書きこむ風習があった。平安中期以降,貴族の女性が仮名暦を使用しはじめ,しだいに広い範囲で用いられるようになった。鎌倉時代には版暦(はんれき)の製作が試みられ,室町時代になると書写の暦にかわって仮名版暦が暦の主流を占めるようになった。この頃から,各地で地方暦が発行されはじめた。版暦は紙数を節約するために,文字を細長く書く版暦独自の書体を使って記された。江戸時代に入って,貞享(じょうきょう)改暦以後は,幕府天文方により全国均一の内容のものに統制された。明治期以後,政府は一時頒暦商社に暦の独占販売を許したが,1883年(明治16)から伊勢神宮司庁がこれにかわり,1945年(昭和20)に暦の出版が自由になった。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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