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後鳥羽天皇(ごとばてんのう)

生没 1180.7.14~1239.2.22 在位1183.8.20~98.1.11 高倉天皇の第4皇子。名は尊成(たかなり)。母は藤原信隆の女七条院殖子。1183年(寿永2)平氏が安徳天皇とともに都落ちしたため,神器のないまま践祚(せんそ)。当初は祖父の後白河法皇が院政を行っていたが,92年(建久3)法皇の没後は九条兼家,96年に兼家が失脚すると源通親が実権を握った。98年土御門(つちみかど)天皇に譲位して院政を始め,1202年(建仁2)通親の没後は独裁化した。西面の武士や和歌所を設置して文武両道の振興をはかった。また多数の院領荘園を基礎とする財力によって水無瀬(みなせ)・鳥羽・宇治などに離宮を造営し,熊野に28度も参詣して権威を示した。鎌倉幕府に対しては外戚坊門信清の女を源実朝の妻とするなど公武の融和に努めたが,実朝暗殺後は皇子を将軍として迎えたいとする幕府の要望を拒んで倒幕に傾き,21年(承久3)挙兵したが完敗(承久の乱)して出家。隠岐島に配流となり,同地で没した。歌人としても優れ,「新古今集」を勅撰し,配流後もみずから追加・削除を行った。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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