満州国(まんしゅうこく)
満州事変後,満州(中国東北部)および内モンゴル地域に日本が建国した傀儡(かいらい)国家。関東軍は満州の諸地域占領後,軍閥や大地主を利用して,地方ごとに名目上の自治や独立を唱えさせた。建国が住民の自発的意思によるという体裁を整えるため,1932年(昭和7)2月16日,満州事変の過程で各地に作りあげた傀儡地方政権の代表を奉天に集め,18日独立を宣言。3月1日には建国宣言を行い,清朝の廃帝(宣統帝)溥儀(ふぎ)を執政とし,元号を大同,首都を新京(長春を改称)に定めた。34年3月帝政へ移行,満州帝国と称し,元号を康徳と改めた。日本は32年9月満州国を正式承認し,日満議定書を締結,満州国の国防を担当するとともに既得権益を承認させ,秘密条項においても多くの権益を得た。国務総理・各部長(日本の大臣にあたる)には満州人を据えたものの,実権は駐満大使を兼ねた関東軍司令官の指導下にある日系官吏が握り,議会はおかれず満州国協和会を唯一の政治組織とした。日本は満州を総力戦準備に必要な軍需資源の供給地,兵器廠とするため重工業建設に努め,産業開発5カ年計画を実施し,37年日産コンツェルン系の満州重工業開発会社を設立した。太平洋戦争末期には戦力の南方への振替により対ソ戦の前線基地としての性格は低下し,45年8月8日のソ連参戦により戦線は崩壊。8月17日満州国は解体を宣言した。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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