万石騒動(まんごくそうどう)
1711年(正徳元)安房国北条藩領27カ村におきた百姓一揆。北条藩領はおおむね1万石であったことから万石騒動という。新役人川井藤左衛門の不正な検見による年貢増徴に反対したもの。10月に大勢が北条役所に出訴するがらちがあかず,11月に600人余で江戸藩邸に門訴,さらに老中へ駕籠訴するにおよんだ。川井らは駕籠訴の事実を知ると,先に入牢させていた3人の名主を死罪に処した。この事実を百姓が追訴したため,幕府のとりあげるところとなり,百姓側が勝訴した。川井父子の死罪をはじめ諸役人が処罰され,藩主屋代忠位(ただたか)は改易された。死罪の3人の墓は万石惣中によって建立され,千葉県館山市国分に現存する。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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