明六社(めいろくしゃ)
明治初期の開明的知識人の結社。1873年(明治6)7月アメリカから帰国した森有礼(ありのり)を中心に設立。社長に森,社員は西村茂樹・津田真道(まみち)・西周(あまね)・中村正直・加藤弘之・箕作秋坪(みつくりしゅうへい)・福沢諭吉・杉亨二(こうじ)・箕作麟祥(りんしょう)で,月2回の集会と機関誌「明六雑誌」を刊行。彼らは洋学の知識をもって明治新政府に出仕するとともに啓蒙活動を行った。発足時の社員のうち民間人は福沢だけであった。「明六雑誌」は75年11月言論取締りの法に抵触することを警戒して終刊とした。主要社員は79年創立の東京学士会院(日本学士院の源流)の会員に推薦された。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)
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